茅ヶ崎育ちの加山雄三さんの名前にちなんだ『雄三通り』はJR茅ヶ崎駅南口とビーチを結ぶ通りです。その雄三通りに創業から60年も営業を続ける小さなパン屋さんがあります。
店の名前は『清月(清月)』雄三通りは桑田佳祐さんの中学への通学路、当時、桑田さんは『清月』に毎日のように通っていました。

「佳祐は、中学時代は野球部。部活が終わると、すぐにウチに来て『腹減った、何かない!』ってうるさかったんですよ」
そう語るのはご主人が亡くなって以降もひとりで店を運営している高橋ツナさんです。

早朝からサーファーたちがパンを買いに来るので、高橋さんは毎日、深夜0時に起きて調理パンを作り、毎朝5時には開店です。昼を過ぎてパンが売り切れれば、閉店。

中でも人気なのが『サザン佳祐ドック』。ホットドック用のパンに、魚肉ソーセージ、レタス、トマトを挟んだ、シンプルなサンドです。この名前は桑田さん公認。

『サザン佳祐ドック』の誕生秘話を語る高橋さん、少年時代の桑田さんの日常が語られます。

桑田さんにとっても母親のような存在でした。

「部活が終わる頃には店にあるものは売り切れてしまうの、でも佳祐が『おばちゃん、何かない?』っていうから、店に残っていた材料で作ってあげたの」と語る高橋さん。

佳祐少年はこのパンが大好きで、このパンを食べると上機嫌で『ローハイド』を歌っていたそうです。その頃から歌が上手だったと高橋さんはいいます。

「授業が8時30分から始まるから『15分までに来ないと売ってあげないよ!』なんて授業に遅れないように気遣いしたこともあります。おせっかいなんですね」
まるでお母さんのように桑田さんに接していた高橋さん、桑田さんも高橋さんを母親のように慕っていました。結婚の際も、夫人の原由子さんをお店に連れて来て紹介したそうです。

2000年8月にサザンが茅ヶ崎球場で凱旋ライブを行った際は『ゆかりの人』としてインタビューを受け、そのVTRがライブ中に流されました。このことで『清月』にやって来るサザンファンも増えました。

桑田さんは高橋さんを茅ヶ崎球場に招待、以降高橋さんはサザンのライブに通い続けています。
桑田さんの癌が明らかになったときは、お店に来るサザンファン折り紙を渡し千羽鶴を1000羽送ったりと、お互いを気遣いながら今日まで来ました。

10年ほど前、営業50年の節目に閉店を考えたこともあったそうです。そのことを聞いた桑田さんは高橋さん宛てに便箋5枚もの手紙を書きました。
その手紙の最後には「清月の灯を消さないように、頑張れますか?おばちゃん」と書かれていました。

桑田さんの、その一言に涙が出てお店を続けて行く気になった高橋さん。
『清月』には「おばちゃんに会いたい」というサザンファンが大勢、日本中からやってくるそうです。

出典元:1242