41年間匿名で図書費用を寄付し続けていた伝説の『鶴岡のおじさん』生徒と初対面

1974年4月中旬、鶴岡市立羽黒第四小学校に一枚の手紙が届きました。

そこには、「自分が受けた恩を社会へお返ししたい。どうか図書費用に使って下さい」と書かれた手紙と共に、2000円が同封してありました。

手紙には生徒たちが読めるように、赤い文字で振り仮名が。
画像引用元:YouTube

封筒の裏には「鶴岡市」とだけ記載してありました。

達筆で自らを「小生」と書いてあることから、手紙の主は男性であると判断し、以来『鶴岡のおじさん』と愛称をつけて呼ぶことに。

それから毎月、手紙と共に届く図書費用。

時には図書券が入っていたり、季節によっては少し大目の金額が入っていたり…

図書費用の寄付は2015年の12月まで続き、総額は220万1300円。

寄付によって購入された『鶴岡のおじさん文庫』は1400冊以上。

生徒たちは毎年、鶴岡のおじさんに感謝するイベントを行い、劇を披露したり、顔を想像して似顔絵を描き図書室に飾ったりしていました。

しかし、2016年3月をもって同校は閉校することが決定してしまいます。

中には、親子二代で『鶴岡のおじさん文庫』を楽しんだという生徒も多数。

一度でいいから、おじさんへ感謝の気持ちを直接伝えたいという生徒達の想いは日に日に高まっていきました。

そんな時、友人からの知らせで同校が閉校することを知ったその男性。

自身の活動にひと段落つけようと、名乗り出ることを決意します。

そしてついに…

生徒たちから鶴岡のおじさんと親しまれていた男性は、金野昭治さん、68歳。

羽黒第四小学校の近くの羽黒第三小学校の卒業生でした。

現在は仙台市に住んでいます。

閉校が決まるまでは、子供の夢を壊さぬよう名乗り出る気はなかった金野さん。

初めて生徒たちと対面すると、終始嬉しそうな表情で交流。

生徒たちから感謝の手紙や歌が贈られると、涙を浮かべていたそうです。

その謙虚さや優しさが生徒たちにもすぐに伝わり、

「おじさんに会えて嬉しかった、私も勉強を頑張ります。」

「今日の日のことを大事な思い出にします。」

と、生徒たちは大切な何かを感じたようです。
画像引用元:YouTube

■この、寄付を始めたきっかけは…

金野さんは中学時代、家に金銭的に余裕がなかったため高校進学を諦めていました。

しかし、担任の勧めで地元の奨学金制度を活用することで、無事に高校を卒業。

そのとき金野さんは、『この町に受けた恩は必ず返そう』と心に決めたそうです。

そして1973年に同校を訪れた金野さん。

そこで、金野さんは、図書室の本があまりにも少ないことに衝撃を受けます。

聞けば、図書費用は年間2万円もないという実情がありました。

それを知った金野さんは翌年の1974年から、素性を隠し寄付をスタート。

以来、『鶴岡のおじさん』と呼ばれて親しまれ、生徒たちの間で伝説に。
画像引用元:YouTube

■金野さんから生徒たちへのメッセージ…

「私は今、英語の勉強をしています。

夢に向かって努力できるのは幸せなことです。

今日は皆さんに会えて、言葉にならないくらい胸がいっぱいです。

夢や希望、努力することの大切さを伝えられたのなら…おじさんの夢が叶いました。

ありがとう。」

■羽黒第四小学校の卒業生からは…



「自分が受けた恩を返したい」という想いで、次の世代へ愛を送り続けた金野さん。

40年以上も続けるなんてなかなかできる事ではありません。

閉校してしまうのは寂しいけれど、多くの生徒達に夢と希望を与えてくれた金野さんの意志はきっと恩恵を受けた卒業生によって受け継がれていく事でしょう。

出典元:山形の小学校で、“図書館の足長おじさん”が児童と対面しま…(15/12/09)

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